昔話が懐かしいと思うようになったら老人の証拠と言われますが、紆余曲折の27年を少しづつ振り返ってみたいと思います。コロナ感染症で過去のどんな事件よりも厳しい状況の今、過去のピンチを乗り越えてきたことを思い返してヒントになる事が見つかるかもしれません。どこまで書けるか、挑戦していきます。

純米酒料理屋しぇんろん HistOry

《第1話》

 純米酒料理屋しぇんろんは1995年7月に藤沢市南口で開業しました。

当時の名前は《カフェテリア 神龍(シェンロン)》なんとも怪しい名前です。

マスターも私もまだ36歳、子ども達も小学生でドラゴンボールに夢中で、「中華料理なら神龍が良いよ!ドラゴンボール7つ集めるとなんでも願いをかなえてくれる神龍が現れるんだ。どんどんお客さんがくるよ!」なんて言われて、「そうだなぁ」という具合に安易に店の名前が決まりました。初めての自分の店に賭ける意気込みは大変なものでした。保健所の手続き、融資の手続き、厨房設備、内装工事、メニュー作り、オペレーション、人材確保e.t.cすべて自分たちで考えて店づくりをしました。

 

 マスターは、秋田県出身で大学入学で東京に出てきました。大学卒業後、コーヒー会社に就職して9年間勤務。コーヒー会社を退職するときから独立を目指して、中食産業の新しい形のテイクアウト専門店、中華レストランチェーンなどで働き、経営と料理の知識を深めていきました。念願かなって《カフェテリア神龍》の開業にこぎつけました。

やっとオープンしましたが、怪しい名前の地下の店、当時は馴染みのないカフェテリア形式、お客様はほとんど来ませんでした。道路でチラシを配ったり、近所にポスティングしたり、電柱にチラシを張ったり。

いろいろ手を尽くして、ランチに少しお客様が来てくれるようになりました。

 

 夜も先にオーダーして先会計のショットバーみたいにしていたので、誰も来ません。

たまにサラリーマンの方が来ると、テーブルに座るなり『生ビールと枝豆ね!』『お金?あとあと』なんていうことになり、『このやり方はだめだね』と教えられました。

 

 『夜は居酒屋になって宴会をやらないと潰れるよ』『広いフロアなんだから毎日30人の宴会やってなくちゃ』

『刺身もないなんて酒が飲めないよ』『カラオケがないなら宴会しないよ』『個室の掘りごたつの部屋はないのか?』

『飲み放題は生ビールのピッチャーがいいよ』『サワーは何十種類もないと』『酒飲みのつまみがないじゃないか』

 

次から次から色々な要望にどうしたら応えられるのか。関内の繁華街での弁当店や、駅前の中華レストランなどで修業してきたマスターは、居酒屋の経験はありません。私は日本橋の商社のOLを3年、その後は専業主婦で商売のことなど全く経験がありません。

 ド素人の二人は途方にくれました。

                     つづく…

《第2話》

開店してから3か月。ラーメン380円、チャーハン350円、生姜焼き定食500円など低価格のメニューが人気になり、ランチはちょっとづつ軌道に乗り始めました。しかし夜のお客様は全く来てくれません。やはり居酒屋になって、宴会を取らなければ潰れてしまう。何を見直したら居酒屋になれるのだろう?と悩んでいたところ、毎日毎日、昼も夜も来てくれるI先生が、『酒のつまみの一番は美味しい冷ややっこだ、それと刺身がなくちゃ話にならない。毎日アジを買ってきて三枚におろす練習をしなさい。私が教えるから。』と言ってくれました。先生は英語塾の先生で料理の先生ではありませんが、若い時にすし屋でバイトをしていて魚をおろすのは朝飯前だと言ってました。

そのあとすぐに戸塚の市場に通うようになりました。毎日市場の魚屋でアジを3匹買い、毎日三枚におろす練習をし、そのうち魚屋さんと仲良くなり、だんだん仕入れる魚も増え、刺身のメニューも出せるようになってきました。戸塚で繁盛している銘酒居酒屋の社長さんとも、市場で知り合いました。銘酒居酒屋の社長だったちょうさんは、とにかく行動力のある人で、知り合った翌日にはランチを食べに来てくれました。

『いやぁー立派な店だ。駅からも歩いてすぐだし、人もいっぱい居るし、繁盛しないわけがない。やり方が悪いんだよ。宴会場作ろう。大工を連れてくるから。』と言って、翌週には大工さんを連れてきて工事を始めてしまいました。おかげで30人も入る立派な掘りごたつの宴会場ができました。その後も、『商売の勉強をしなくちゃだめだ』と言って琵琶湖で大きなセミナーがあるからと誘われて参加することになりました。

商売の経験がない私にとっては、本当に良い勉強になりました。当たり前のことなのですが、なかなかできないこと。倉本長治先生の言葉が今でも基本的な考え方になっています。

 宴会場を作って、近隣の企業にチラシを配りに行き、営業して回りました。

そして、先ほどの銘酒居酒屋の社長から、『これからは、地酒を売らないとお客さんは来ないよ』と。

さて地酒とは?どうしたら仕入れられるのか?またまた問題発生です。お酒は業務酒販店から仕入れていて、いわれるがまま。何の知識もありません。普通に生ビールと、サワーと、日本酒、ウイスキーを並べていても、どこにでもある酒でした。これでは大手居酒屋にはかないません。

大人数で、飲み放題で安い宴会。考えていたのは大手居酒屋のような店だったのか?どんな店づくりをしていくのか?まだはっきりわかっていませんでした。

《第3話》

『地酒を売ろう』そう決めたのはいいのですが、どこで手に入るのか?

幼馴染のかおるちゃんとランチをしていた時に相談しました。かおるちゃんは私より1年前に戸塚で居酒屋を経営している先輩です。

その頃から有名な地酒を扱っていたのです。『地酒は仕入れが大変なのよ、真理ちゃんには無理じゃない?そうだ、藤沢にとちぎやさんという酒屋さんがあるから行ってみたら?』と教えてくれました。

本屋さんで『全国地酒図鑑』みたいな本を買い、聞いたことがある有名なお酒を書き出して、とちぎやさんを訪ねてみました。

 

初めて入る地酒屋さん、見たことも聞いたこともない日本酒が沢山並んでいました。

『どんなお酒をお探しですか?』奥から店主の平井さんが出てきました。どんなお酒と言われても…

『南藤沢で飲食店をしています。これから地酒を取り扱いたいと思って来ました。こんなお酒はありますか?』とリストアップした紙を見せました。

平井さん『残念だけど、うちにはここに書いてあるお酒は無いですよ。どういう風にお酒を売りたいの?』

私『?????』

平井さん『うちは純米酒を中心に売っているんですよ。ここに書いてある銘柄は有名だけど、どこでも飲めるでしょ?うちのお酒は小さな蔵ばかりだけど、純米酒を一生懸命造っている蔵なんですよ。個性豊かな純米酒を売りたいんです。』

私『純米酒って何ですか?お酒はみんな一緒じゃないんですか?』

平井さん『もっと日本酒のことを勉強したほうがいいですよ。今度お店に行きますから。』

 

こんな会話をしてから2か月後、平井さんが店に来てくれました。

『日本酒の勉強会をしましょう。お取引はその後で、』と言って、毎週営業が終わった夜中から朝方まで、純米酒とは何か、日本酒の作り方、歴史、利き酒、e.t.c.....

およそ2か月8週間、純米酒について勉強しました。

初めて利き酒をした時の感動、『純米酒はこんなに美味しかったのか!』とびっくりしました。

すっかり純米酒の虜になったマスターと、私はこの純米酒を一生懸命売ろうと思いました。

 

とちぎやさんの指導の下、メニューも決めて、提供の仕方も決めて、壁中に銘柄の書いてある紙を貼って、純米酒をアピールしました。

有名なお酒は《八海山 普通酒》、その他は《神亀》《鯉川》《すっぴんるみ子の酒》《早瀬浦》《杉錦》など10種類くらい。

当時はまだ普通酒も本醸造も置いていました。

 

地酒ブームもあって、お客様は少しづつ、日本酒を注文してくれるようになりました。

圧倒的に売れるのは《八海山》そういえば、とちぎやさんが『八海山10升売れるうち他のが1升売れればいいよ』って言ってたっけ。

 

毎日1升瓶を抱えてお客様のテーブルでお酒を注いで、ラベルを見せて覚えてもらう、ということで少しづつほかのお酒も売れるようになりました。今のように《このお酒とこのお料理がバッチリ》みたいな事は全く考えられず、ただひたすら『美味しいですよ』と言ってるだけでした。